「老後不安」を減らす生き方……「体の衰えを防ぐ」秘策

突然のがん宣告を受けた”筋肉博士”・石井直方さんに学ぶ②

東京大学大学院教授 石井直方さん

[プロフィール]
東京大学大学院教授、理学博士。少ない運動量で大きな効果を得る「スロトレ」研究の第一人者として知られる。


気づかないうちに「筋肉の老化」が加速している!

私たち取材班は、2014年に「ストレッチ」と「筋トレ」をテーマにしたムックを制作しました。その際に監修をお願いしたのが石井さん。還暦を過ぎても元気はつらつ、母校で教鞭をとる石井さんに健康の秘訣のお話をお聞きしようと、久しぶりに東京大学に伺いました。
「お久しぶりです」
「ええ、元気にやっていますよ」

おだやかに明るく話される様子は3年前と同じです。

ところが取材開始から5分ほど経った頃でしょうか。
想定外の言葉が石井さんから飛び出しました。

「運動の必要性をといていらっしゃる先生ご自身は、日ごろどういった運動をされていますか?」とお尋ねしたときです。
「じつは、今、運動はしていないんです。昨年(2016年)がん(悪性リンパ腫)のステージ4と宣告され、まだ療養中でしてね」そんな予期せぬ答えを受け、取材班は絶句しました。

(そんな大変なときに、取材を申し込んでしまった。なんてことだろう。でもなぜ、そのような状況のなか、取材を受けてくださったのだろう)

石井さんとこのあとどのようにお話をすすめたらいいのか、戸惑う取材班に、石井さんは
「別に隠していることではありませんし、読者の方たちに参考になるのであれば、僕の病気について書いてもらってかまいませんよ。しばらく休職していましたが、もう働けるほどに回復していますしね」と。
その言葉に後押しされ、取材を続けさせていただくことになりました。

「老後に必要なのは、健康と体力。それはもう、あたりまえですが」
と石井さんは前置きしながら、筋肉研究の第一人者らしく、「筋肉を鍛えることの重要性」を語ります。
「基本的に、筋肉は30歳を超えると減り始めます。一番減りやすい部位の一つが太もも、なのですが、太ももの前の筋肉は、30歳から80歳までの50年間で、約半分にまで減少するというデータがあるんです。だから、30代を越えたら太ももが細くならないように注意すればよいのですが、なかなかそういうわけにもいきません。ただ、興味深いことに、筋肉の減り方の速度は一定ではないんです。40代から50代にかけて、筋肉の減り方の速度がもっとも早くなります。だから40代、50代になって『体力が落ちた』などと実感するようになるんですが、つまり、体力の衰えを自覚できたときには、筋肉が減る速度は非常に早くなっているわけです」

「75歳、80歳になったときに、突然立てなくなる人が多くなるわけですが、なぜかわかりますか?」
”突然立てなくなる”という症状が、なぜ起こるのか。
どうして「なだらかな変化」ではなく、「大きな変化」に見舞われるのか。
石井さんは2つの原因を指摘します。
1つ目は、筋肉には十分な余力があるため、足腰の筋肉がぐんと衰えても、生活をするのにすぐには困らないということ。2つ目は、「筋肉を使わなくても生きていける社会」になっているということ(車やエレベーター、エスカレーター、家電製品などの発達)。
幸か不幸か、この2つの原因のため、筋肉がかなりのスピードで減っているのに「不便さを感じない」という状況になります。そして不便さを感じないため、気づかないうちに筋肉の衰えはますます加速して、いつしか「立てなくなる」までに衰える。そんな衝撃的なメカニズムがある、と石井さんは語ります。

”立てなくなる”と”転びやすくなる”という状態にもなり、それが”寝たきり”を引き起こします。
そうなる前に筋肉の衰えに気づき、予防していくことが大切、なのだと。
専門分野のお話の合間に、自身の病気についても語ってくれました。
「病気がわかったときは自分より周囲が大あわて、という感じで。自分としては、病気になったといっても、まずはしっかり治療をすることだなと、わりと冷静というかあわててもしようがないというかね、そんな心境でした。治療はハードで、数か月前は、副作用で全身の毛が生えていないような状況だったんですよ。頭髪も抜けきって、ツルツルで帽子をかぶってね。でも、『生きている』だけでありがたいと思ってましたね。病気になったときは、それこそ三途の川を渡りかけていたものですから。それに比べれば、見た目の問題なんて、まったく大したことはありませんから。骨髄移植も無事に成功してね、今は、ほら、このとおり髪もフサフサですよ」


休息と運動を心がけて年齢を重ねていく。

石井さんいわく「4、5年前よりも今のほうが顔色がよくなった」と。その秘訣は、本誌でもお伝えした通り「規則正しい生活」なのだそう。「毎朝、体重と血圧と体温を、ノートに記録している」と教えてくださいました。
「ちょっと微熱が出ることがあるんです。たとえば頑張りすぎたときや、感染症にかかったとき。まだ体力がついていないので、こまめに自分自身の体調の変化と向き合うようにしています。血圧も前よりだいぶ正常値に近づいてきました。以前は140くらいで『少し高い』とよく注意されていたんです」
「病後とはいえ、電車に乗って通勤してますし、活発的に動くことを意識しています。体を動かさない日常生活では筋肉の衰えが早くなり、エネルギーが余るためにメタボになりやすい。そしてなんといっても、体を動かすことは認知症の予防になりますからね。統計学的に言うと、認知症予防に確かな効果があるのは運動のみ、のようです」と石井さん。

ただ、いざ体を動かそうというときになって、「筋肉が衰えているため難しい」と気付く人も多々。つまり、認知症を遠ざけつつ健やかに年齢を重ねていくためにも、「体を動かして筋肉を保つことは重要」とのこと。

「ヨーロッパの研究で、1週間に3日以上、15分以上のウォーキングをしている高齢者は、認知症の発症リスクが半分になるというデータがあります。やはり歩くということは、人間にとって“基本”なのです。一人で立って歩くことができなくなると、自分でトイレに行って排泄することができないという事態にもつながりかねません。そうなると、介護が必要ということになってしまいます。そのような事態を避けるためにも、歩くことが大切なのです」

以前と変わらず、明快にわかりやすくお話をしてくださる石井さんにお礼を言い、感謝の気持ちに包まれながら、取材班は教授室をあとにしました。
睡眠をとってゆっくりと休み、ストレスを遠ざける生活を意識することにより、「昔よりもずっと疲れにくくなった」「病気をする前より、今のほうが体がラクな気がする」……。
病を得たのちにどう生きていくか。
なにを心がけていくか。
石井さんの力強いメッセージが心に残りました。


*文/編集部(2017年11月)


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